働く人へのメンタル・エクササイズを提供する心の体操協会

心と身体のお話

まぶたの楽しみ

警策をいただく企業研修などで、座禅が取り入れられることがあります。 心頭滅却すれば火もまた涼し、の心境には遠くとも、自己を見つめ直す機会になった、とその体験を語る方も少なくありません。この座禅をするにあたってまず、姿勢の指導があり、それから薄目を開けて半眼で1メートル前の畳を見るように、という指示があります。 さらにあの警策と呼ばれる棒でビシッと叩いていただく、ありがたいご指導があります。

足を組んで長時間座る習慣のない私たちは、そこが最初の難関であったりします。 さらに、この薄目を開けて座るのが座禅です、というところが意外に感じる人もいます。 てっきり黙想でもするように、目はつぶるものだと思っていたと言うのです。

半眼にしておく、ということがそもそも日常的にはまずやらないことです。 普通は目を開いて何か見ているか、夜目を閉じて寝るかのどちらかです。 その中間の状態に留め置く、というのはかなりそのことに意識がいってしまって集中しにくい感じもします。 私達にはありがたいことに、”まぶた”というものがあります。

魚にまぶたはないですし、両生類にもありません。 彼らは眠る時にも目を閉じることが出来ない。 爬虫類の一部や鳥にはまぶたがあり、哺乳類もまぶたを持っています。

夜寝る時には、まぶたが閉じられるお陰で、外界からの視界の刺激をシャットアウトして、安眠できます。 起きて活動している時には、まばたきをすることによって、サッと瞳に潤いを与えてくれるありがたい存在です。

私達はごく稀に、心ここに在らず、という目の表情に出会うことがあります。 何かに完全に心が奪われている人が見せる、あの目の表情です。 それは尊敬する上司、先輩、パートナーといった人が対象だったり、何かの事柄だったりします。仏像

優れた仏像でも”心ここに在らず”風な、深い魅惑的な眼を観ることが出来ます。 この時の心ここに在らずは、あの欲望も物質をも超えた永遠の世界と一体になっている眼差しです。

これからわかることは、心が大いなるものに定まった時に自然に出る、あの深いまなざしは、結果であって、過程ではない、ということになります。 ああいう表情をするから、大いなる存在に近づくのではなく、それと一体になった結果としてあのような表情が自然と生まれる、ということです

大いなる存在に近づこうとする普通の私達にとって、このありがたい”まぶた”を活用しない手はないでしょう。 心の体操第2では、当然ながらまぶたは閉じることを勧めます。

まぶたを閉じて目からの感覚が入らないようにするだけでも、私達はグッと深い静寂の意識に入りやすくなります。 そのような深い禅定に入っていると、とても直ぐにバシッと背中を叩いたり、叩かれたりするモードには入れないことがわかると思います。

中学生の国語のある教科書に円地文子さんの『めがねの悲しみ』というエッセーが載っています。 たいせつな目の前にガラスが鎮座する自分の境遇を悲しむ、というような内容でした。

私たちのたいせつな目の前には、まぶたがいつでも自由に開閉できるように鎮座していてくださいます。 そのお陰で、真昼間であってもまぶたを閉じて、あの安らぎの心の体操第2の時間に没入することができます。

円地さんの言い方をお借りすれば、これぞ『まぶたの楽しみ』に他なりません。 一休みしたい時に一杯のコーヒーに寛ぐように、自分の意思で自由にまぶたを閉じられる境遇を、もっともっと愉しんで良いのかも知れません。

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